It’s me!|スペシャルインタビュー

私なんて私なんて。諦めてばかりいた20年
私なんて私なんて。諦めてばかりいた20年

私なんて私なんて。
諦めてばかりいた20年

「心配性、ネガティブ、コンプレックスだらけ。私なんて...っていつも思っていました」
家族写真をベースに、人となりがにじみ出るポートレートを得意とする大内麻世さん。写真はもちろんのこと、紡ぐ言葉に勇気づけられる人が増えています。

根底にあるのは「人生を受け容れ、前に進むきっかけにしてほしい」という想い。どうやら、もがき続けてきた道のりにその理由が詰まっているようです。

「弱い私にできるわけない、と諦めてばかり。自分の人生を生きていない感がずっとありました」
学生時代を振り返り、静かに口を開く麻世さん。幼少中高一貫の女子校で、苦労なく過ごした日々を「温室育ちで何もできない自分が嫌でしたね。くるくるポイしたいくらい」とバッサリ。

印象深いのは中学1年の時、友だちと盛り上がった富士急旅行計画。でもお母さんに反対されてしまい、心のスイッチを切るように。

「私も行きたい!って主張してもよかったんでしょうけど、諦めてしまいました。仲良くなれば、休日に遊びに行こうという流れになる。でも“ダメ”と言われることがほとんどで。そうすると人と深く付き合うのが難しくなりますよね」

「なんでうちだけ?という不満から、友達付き合いが上手くいかないのも全部親のせいにしていました。他にも思い通りに進まないことは全て周りのせいにして」

思うままに生きられない私、それでも育っていく私。自身に俯瞰的なまなざしを向け続けて、たどり着いたのが「いつか親になりたい」という想い。一見矛盾しているように思えますが、その目標が人生を突き動かしていきます。

「思春期の頃、自分の内側にいろんな感情が湧いてくるのを感じました。言い表しがたい、黒くて醜い感情が膨らむこともありました。どんな時も傍らには親がいました。だから救われたこともあるし、何も伝えずやり過ごしたこともありました。ちょっとしたことで均衡が崩れてしまう繊細な子どもの心、親の存在、両者の関わりや距離感...どれも興味深くて。今度は自分が親になってこの関係を体験してみたいと思ったのです」

親になった、
私はわたしのままでいい

「はじめて自分の意志で選んだんです。さあ、生まれ直そう!って」

就職した当時のことを、まっすぐな瞳でこう語ります。大学卒業後、選んだのは営業職。これまでを振り切るように、前へ前へ。

「あえて揉んでもらえそうな会社を選びました。当時は、いつか親になるために強くならなきゃと思い込んでいたんです。今のままじゃ子どもを守れない、何でもできるようにならなきゃって」

やりがいもあり、脇目もふらず仕事に邁進する毎日。その後「さらに強くなりたい」と渋谷のベンチャー企業に転職もしました。

親になった、私はわたしのままでいい

「何かを成し遂げていくぞって気持ちではちきれそうでした。“何か”が何なのかもわからないんですけど(笑)とにかく必死でしたね」

そして30歳で出産。追い求めていた「親になる」が叶った瞬間、心の内に意外な変化が生まれます。

「あれ、親になるのに強さって必要なのかな?って。娘がおすわりして一人遊びできるようになった頃。屈託のない笑顔を返してくれた時に、なんだろう...。私たちはこの組み合わせ以外ありえなかったと、身体の奥底からありありと感じたんです」

それは、ずっと絡めとられていた呪縛から解き放たれた瞬間。

「親子になるって、強さを求めた先にある関係性ではなく、自然の流れであり、めぐり合わせ。優劣も好き嫌いもすべて飛び越えて”私たちは私たち以外ありえなかった”と腹落ちした瞬間、もう自分以上を目指さなくていいんだと思えました」

「今まで人と比べて自分を否定し続けてきました。でも娘にとってお母さん候補が他にいるわけじゃなく、互いに唯一無二の存在。『私はわたしのままでいい。強かろうが弱かろうが、今、この自分で向き合っていこう』って、強烈に思ったんです」

誰かと比べる必要もないし、一番になる必要もない。わたしは世界に一人だけ。であれば、その自分まるごと受け止め、生きていけばいい。

「就職した時は、ようやく自分の人生がはじまると思った一方で、過去の22年は捨てたくてたまらなかった。だから強くなりたいと焦っていました」

「でも、」と続けます。

「もうくるくるポイしたいとは思わなかった。私であること...それは過去もすべて受容できた感覚がありました」

壁にぶちあたりながら、受容と写真が重なっていく

壁にぶちあたりながら、
受容と写真が重なっていく

モノクロだった過去に色を取り戻した麻世さんは、前のめりに人生を歩みだします。

育休中、お子さんを撮りはじめたことを機に「写真を仕事にしよう」と退職。勢いのまま個人事業主として独立したことを「覚悟の見切り発車」と笑いますが...。

「フォトグラファーと名乗ったところで知識も経験も志もなく。会社員時代の収入とのギャップはありましたし、暗中模索でしたね。この先大丈夫だろうか、という不安が拭えませんでした」

ビジョンに共感していた出張撮影サービスの採用面接を受けたことも。

「でも落ちてしまいました。研修から、と言われて落ち込みましたね」

実力不足を突きつけられた一方、研修中に基礎を学び自信を持てるように。めでたく採用された矢先、また壁にぶちあたってしまいます。

「気づいたんです。ちゃんと写真は撮れるようになった。でもそれだけじゃ大勢いるカメラマンの中で埋もれてしまう、って。ブランドの力を借りて仕事するのではなく『麻世さんに撮ってほしい』というお客さんに出会いたかった。自分の名前で生きていきたかった。じゃあどうやって?頭によぎったのが、産後に娘が教えてくれた、あの安堵感のことでした」

時を同じくして、自己受容、自己肯定という考え方が社会的に注目されはじめました。受け容れられず苦しむ人は、私以外にもいるんだ。受容と写真が重なっていきます。

「私は、自分を受け容れた瞬間、つきものが落ちたように生きやすくなりました。だからみんなにもその感覚を味わってほしい。でも突然、私が体験談を語りながらアドバイスしたところで、それは土足で誰かの心に踏み込んでいくようなもの。相手に響かない気がしました。そんなことをつらつら考えている時『あ、私、写真撮ってる』って」

「写真はありのままを写し出します。写る自分をいいと思えたら受容につながるかも」

2020年、33歳の夏。もがき続けた末にようやく麻世さんだからできる仕事へたどり着きました。

鏡のように写して、前に進むお手伝いを

鏡のように写して、
前に進むお手伝いを

麻世さんはどんな撮影でも、
まずはお客さまとの対話からはじめます。

「イメージは、鏡なんです」

え、鏡?

「自分の姿って自分じゃ見られません。客観的な視点を持ちづらくて悩みから抜け出せないことも。だから私が鏡になって、お客様の姿を写したい」

ありのままの想いを受け止め、ぽーんと質問を投げかける。呼応してお客さまが考えを深める。対話の積み重ねで、自然とモヤモヤの糸口が見えてくる。

それは自身が他者に伴走してもらった経験があるからこそ。会社員時代から定期的に受けているコーチングでの実感がベースになっています。

コーチングとは、対話を通じて内なる声に気づかせ、未来に向けた自発的な行動を促すコミュニケーション手法のこと。麻世さんが知人からの紹介でとあるコーチに出会ったのが約10年前。それ以来、コーチと定期的に対話を重ね、合わせ鏡のようにして前に進んできました。

「その人のおかげで、今、自分らしく生きられています。対話を通して自分を知ること。心の声に気づくこと。そして進むべき道が自然と拓けてくること。そのプロセスが心地良くて。だから私もやりとりしていく中で、ご依頼主の霧が自然と晴れていくように寄り添いたい。私はわたしのままで大丈夫。そう思ってもらえた記念に写真を撮れたら」

写真は今の姿をそのまま写します。そういった意味で写真も鏡。加えて今後は文章も一緒に渡していきたいと話してくれました。お守りのように、あなたを支える言葉を。

「人ってすぐ忘れちゃいますよね。私が忘れっぽいだけかもですが(笑)その時の感情や思考を思い出す手がかりとして文章を手渡したい。言葉があれば行動し、変化する手助けになると思うから...」

なぜ、行動を大事にするのか伺うと、茶目っ気のある表情でこう答えてくれました。

「私、悩んでいる時間を撲滅したいんです(笑)過去を否定はしないけれど、20年近く人生が止まっていた感覚はあって、もっと有意義に過ごしたかった。だからご依頼主がすぐ行動できるように、お手伝いしたい」

これで良かった、集大成として撮りたいもの

これで良かった、
集大成として撮りたいもの

諦めつづけた学生時代、強くなろうともがいた会社員時代。手探りではじめたフォトグラファー人生は6年目に。これからはジャンルを区切らず人と真摯に向き合い写真を撮っていきます。

「今は家族写真が多いですが、前に進むお手伝いができるなら、老若男女問わずお仕事していきたい。あと、遺影を撮りたいんです」

「人生これで良かった、と受容する集大成が遺影だと思っています。私、しょっちゅう終わりのことを考えながら生きています。終わりよければすべてよし、というか...。最後、どの写真で幕を閉じるかは結構重要だと思っています」

大切と分かりながらも、どこか遠い未来に思える遺影のお話。心のピントが合わずにいたら「そういえば」と打ち明けてくれました。

「カメラをはじめて、鳴かず飛ばずだった頃。祖母が体調を崩して入院してしまって。病院で撮るのも...と躊躇してたら亡くなってしまいました。写真を生業にしてたのに撮れなかったことが心残りで...。そしたらお葬式の日、母から1枚の写真を渡されたんです」

それは麻世さんが昔撮ったお祖母さんの写真。カメラが趣味だった祖父に「シャッターを切って」とだけお願いされて撮った写真が、遺影として残されていたそう。

「すごく救われましたね。実は強さに憧れた原点は祖母。戦後、まだ女性の自立なんて夢みたいな頃に、大病をした祖父を支えるために下宿を営んだり、組紐を作って売りさばいたり。一人で生きるたくましさを持っていました。祖母との思い出があるから、遺影にかける想いが人一倍強いのかも」

人生をどう終えるか。最期の1枚を好きになれたら、生きてきた足跡ごと愛せる気がします。

「そう思える写真を撮れたら幸せだなって。年を重ねた人だけじゃなく、若くても、毎年、遺影を更新する。そんなことができたらいいなって思う」

心配性で、ネガティブで。コンプレックスだらけ。そんな時代から一つひとつの出来事を咀嚼し、うまくいかないこともうまくできない自分も大切に抱えながら歩んできた麻世さん。

今の姿に葛藤の跡は感じられませんが、そういった経験があったからこそ、苦しさ、やるせなさをすくい取るまなざしがあると思います。

鏡はいつだって今を写し出します。麻世さんらしいしなやかな鏡が、あなた自身をまっすぐ捉え、やさしくぽんと進めるように伴走してくれるとしたら。それはかけがえのない自分へのギフトになるでしょう。

( 2023年6月 写真と文:It's me! )