2024.06.29
写真に、“自分らしさ”は いらない?
今日は、徒然なるままに、問いかけを。
カメラマンらしさって、
写真のどこに出ると思いますか?
#愛は見える を合言葉に
家族の日常を撮っている私としては、
写真にグイグイ“私”を出していくのは何か違う。
この色は、麻世さん特有。
この構図、この視点、麻世さんさすが。
こういう写真は、麻世さんにしか撮れない。
そうやって賞賛されることを
目標にして頑張ったら、
私の中で何かが終わってしまう気がしている。
だから私が今頑張っているのは、
もっぱら自分という存在を
空気のように透明にすること。
深呼吸をして、
被写体の想いや撮影現場の雰囲気を
まっさらな気持ちで受け取り、
写真へ返すこと。
話は変わるけれど、最近、
ブックライターという仕事の存在を知った。
著者に代わって、実際に執筆し、本を作る人。
実は書店に並んでいる本は、
著者自らが執筆しているものも多いけれど、
著者と書く人が違うものも多く並んでいる。
(これは、一般的にその役割分担が知られていないだけで、ゴーストライターなど、後ろめたい仕事ではない。)
ブックライターは、
著者へ取材した内容をもとに、
著者として本を書く。
そこに「私は、こう思う」とは登場しない。
でもそれは、
ブックライターが何も考えていないのとは違う。
表に出す自分らしさはないけれど、
そのライターが、
ちゃんと自分を持って考えて書くから伝わる良い本になる。
その仕事内容を聞いた時、
私が写真でやっていることと
似ているなと思いました。
目の前にいる被写体の方の想いを受け取って、
それをカメラという道具を使って
効果的に表現する仕事。
だから私が!私が!と出ていかなくていいし、
そこに皆さんらしさが映っていたら、
それが大成功。
末長く見返してもらえたら嬉しいけれど、
20年後にこれを撮った
「麻世さん」のことは
誰も覚えていなくてもそれでいい。
私のスタンスは、
そんな感じなんだろうなと最近思います。
撮り手の数だけ答えがありそうですが。